1対2ひとりで精神病の両親と暮らす 日記

精神病の両親との暮らしが始まるのと同時に始めたブログ

2018/2/1木

本日、入院中の父の介護認定訪問審査日。

立ち会うために、午前中仕事を休み、◯の◯病院へ。今回は母は家でお留守番。長い間じっとしていることに耐えられないから。本人も行きたくないといった。

1週間振りに会った父は、この前よりも落ち着いて見えた。

*ロト7等のお金の話をしなくなった

*前回持ってきて欲しいと依頼された携帯電話を「かかってくるとうるさいから」と受け取らなかった(本来の携帯嫌いな父に近づいた⁈)

*前回依頼された本、数冊を要求しなかった(依頼したことを忘れている?読書欲がなくなってきたか)

*スーツの話をしなくなった

「やることがなく、暇なのでもう出たい」といっていた。

介護認定については、症状が落ち着いている父はADLには問題なし、紳士的に答えていたので、「該当なし」になるかもしれないという認定員の印象だった。同席していた看護師さんが父が躁状態だったときの症状を伝えてくれたが、結果にどう反映されるだろうか。

 

父の新たな情報

強制入院後の父のこと⇨当時は私に対する怒り憤り、被害妄想がひどかった。夜中「殺されるー」といった大声を出したことが何回かあった。薬を処方した後は、落ち着いていった。

 

土曜日は、母の診察日。

2018/1/24水

仕事は午前中までして、午後は年休をとった。父の介護認定の申請をすませ、母を連れて◯の◯病院へ。父の状態説明、今後の目標、生活スタイル等を漠然と計画した。主治医、看護師さん、ソーシャルワーカーさん、両親、私の6名で。今後の話をした。

*今日から一般病棟へ移動になった

措置入院から任意の入院になる

*退院を想定した外泊訓練 というような形で計画していく

*退院後、母の面倒を今まで通り父が全てすると両親共倒れになりかねないので、(母は施設に入るのは嫌だといっていることもあり)父の負担を減らすため、母にはできる限り介護保険(デイサービスや訪問介護)を利用してもらう

*父は血圧が高く、安定していない

*父が服用している薬はジプレキサ10mg、バルプロ酸ナトリウム200mg、降圧剤、睡眠薬(双極性障害の躁とうつの差を小さくする)

 

私と母は、父はまだ少しおかしいと思っている。

⇨ロト7の買い方を私に説明し、買って欲しいという

⇨(入院中だから?)まだ多弁。

⇨読みたい本を何冊か要求する

⇨少なくとも声が優しく小さくなる鬱状態ではない

⇨まだ会社をどうにかしようとしてそう

⇨自分の病室の番号を最後の桁だけ何度も間違えている

⇨洗濯仕上がっているものと洗濯物を間違えてもってくる  

⇨まだスーツの件をいってくる

⇨一年経っているのに、まだ、我がマンションで雨の日滑って腕を打った件を 本当は訴えたいと思っている  等

 

明日は母の介護認定がある

2018/1/23火

今日は当直だった。

21:30頃、事務当直から連絡が入った・・・「usazou8さんのお母様という方が、玄関にお見えなのですが・・?」

「えっ?!ほんとですか?!玄関にですか?!」・・・急いで玄関に向かうと、本当の本当に母がいた。「どうしたの?」と母にたずねると

「何だかさみしくなっちゃってー・・。」

「どうやってきたの?」

「タクシーで来た。外で待ってるー」

タクシー会社の方が、支払いを待っていたので急いでお財布を取りに戻って支払いを済ませた。以下、母の言い訳

「家を出た後、すぐ戻ろうとしたんだよ・・・だけどわからなくなっちゃってー」「タクシー代高かった?ごめん。悪いと思ったんだけど、きちゃったー」

たまたま同僚が職場にいたので、理由を話して仕事の待機をしていただき、その間に母を家に送り届けることができた。車内で聞いた話だと、鍵を持っていない母は、マンション内に戻れなくなってしまったので、外を歩いてタクシーを拾った。最初に伝えた行き先は「〇の〇病院」。私の職場ではなく、かかりつけの病院名が出てきてしまったそうだ。その後、私の職場名を思い出し、タクシーでたどり着いた。ここまで来て、(私が)いなかったらどうしようかと、不安でたまらなかったそうだ。もうぜったい、二度とやらないと反省していた。

何事も起こらなくて、大事にいたらなくて本当に良かった。本当によかった。

母には睡眠導入剤を飲ませて出てきた。もう職場に来ませんように。

2018/1/22月

当直明けだったので、母の様子を見に午前中半休をとって家に帰った。

用意していた食事はたいらげてあった。おそらく規則正しくは食べていないだろうが、重大な出来事は怒らなかったので、まあよしとしよう。

今度は明日の火曜日が当直。大人しくしていておくれ、母よ。

2018/1/21日

今日は一日仕事で当直だ。つまり、母は丸一日以上私の家で一人きり。不安要素はあったが、職場に迷惑かけられないのと、私自身が母の介護の休憩になるため当直はすることにした。昨夜は、今日の分の①昼食+薬、②おやつ、③夕食、④明日の朝食+薬、⑤昼食+薬、⑥おやつ を用意しておいた。母は、これをきちんとこなしているだろうか。明日午前中、半休をとって一度母の様子を見に帰る予定。

2018/1/20土

◯の◯病院へ行ってきた。 

父と面会することができた。

母は、同病院にかかっているので、「主治医の許可がないと父と面会することができない」というルールがあるということがわかった。それでも、最初と終わりだけ、父と母は会うことができた。母は、父を一目見るなり抱きついていた。「お父さんかわいそー」と。帰りも父からの「大丈夫かい?」に、母は「お父さんの方がいいー」と甘えて抱きついていた。

上記のルールに則って面会は父と私の2人でした。父は疲れた顔をしていた。「眠れなくて、今は薬飲んでるから大丈夫。」と。投薬が開始されたのかな?百貨店で注文したスーツの話、お母さんの様子の話、退院のめどの話、借り入れ返済の話、生活費の話、病院のスタッフがみんなよくしてくれる話、介護認定を受ける話などをしたかな。私が、強制入院させたことを悪いと思っていると伝えると、「いやいや、頑張りすぎてたのかなぁって思ってるんだ。」と話してくれた。いつものまともな話ができる父に戻っていた。冷静に考えることができる父に。薬のせい?躁状態になってからおそらく3週間しか経過してないはず。前回は怒りっぽい状態が2ヶ月続いたことを父に伝えてみたら、「そうか」と否定はしなかった。が、病気の認識、自覚はまだよくわからない。

家賃の支払いは、年金口座引き落としであるが、口座が空っぽということを教えてくれた。入金しなくては。

次は水曜日家族面談。

今夜の母は、薬を追加せずにスヤスヤ眠っている。安心したのかな、父と会えて。