1対2ひとりで精神病の両親と暮らす 日記

精神病の両親との暮らしが始まるのと同時に始めたブログ

2019/6/9

父の入院を機に一緒に暮らしていた母を父の家に戻した。母は私の家に帰るといってきかなかったが、なだめて帰ってきた。

父も、母との2人暮らしが始まることに不安そうであった。

帰宅した我が家は久しぶりに静寂な空間で、寂しかった。明日から仕事だからすぐ気が紛れるとは思うが。

久しぶりに入った自分のベッドは寝心地がいい。

2019/6/1土

今日、父が退院した。

入院前と変わった事がある。以下に記す。

 

自立支援医療(精神通院医療)制度の申請をすることになった(→精神科の病気で治療を受ける場合、外来への通院・投薬・訪問看護などについて、必要な医療費の一部を公的に支援する制度)

訪問看護を週一回の頻度で利用する

*本人の体力の衰えが前回入院時よりも著しい

 

母との同居については、父から「あと1週間は(私の家で)面倒見てくれるとありがたい」といわれた。父は、母と暮らす体力と忍耐力に自信がないのだと思った。前回入院時とは違う。前回入院時よりも大分心身ともにこたえてるみたいなのは、わるいことではない。そーいや、「まさか自分が自立支援医療を受けるとは思ってもみなかったよ」といっていた。

月曜日に、訪問看護の方が自立支援医療の申請をしに家に来るらしい。実際の訪問看護のスタートは、火曜日からだそうだ。

2019/5/20月

たった今、父を入院中の病院に送ってきた。初めの外泊終了。自宅での父は気弱だった。「疲れっちゃったなあ」「こんなんじゃ、退院した後の生活大丈夫かな、やっていけるのかな」「(入院前の買物メモを見つけて)この時はやる気があったんだ。すき焼きにしようとしてたのかな?!」「前回入院した時よりも、体力がなくなっちゃったなあ、年取ったなぁ。」「もう二度と入院したくないから。だんだん自分で傾向がわかってきたんだ。薬さえ飲んでいれば。」など、この先やっていけるか、不安そうであった。入院中寝てばかりで過ごしていたとのこと。前回は院内を歩き回ったりしていたらしいがそれは全くしていなかったといっていた。

 

病院に戻る直前のランチは、珍しくビール🍺を注文しなかった。タテマエの行動だろうが、薬もきちんと飲んでいたようだし、少しは進歩していると思う。

2019/5/18

今日は、母の診察日、および入院中の父の主治医を交えた面談日。

母は、採血と心電図があった。赤血球の値が少し低く、貧血気味の結果であった。鉄は異常なし。先日の鼻血の影響があるかもしれないとのこと。問題ないとのことで経過観察。

 

父の病棟へ行くと、先週のイライラは通り越して少し疲れているようであった。父母私で主治医の外来の仕事が落ち着くまでだいぶ待たされた後、面談が始まった。結論を以外に箇条書きにする。

○「措置入院」を「任意入院」に切り替えた→書類上は、父が望めばいつでも退院できる状態

○入院中の制限が全て解除になった。(お金、刃物、携帯電話が自己管理に。外泊時も含めて単独行動可能に。)

○今日から外泊。月曜日に病院に戻る。

○22日水曜日、退院前自宅訪問予定。

訪問看護の面談は未だ。

2019/5/12日

入院中の父に洗濯物を届けに行った。元気がなかった。病院の外になかなか出れないからフラストレーションの塊。私は、父に色々いわれたので、つい声を上げてしまったが、我慢し直した。何ていったか詳細は忘れたが、私が父に「躁鬱病」というワードを投げたとき、父は「ちがうよ。病人扱いされて困る。周りはオカシイ人ばかりでいやなんだ!」といっていたと思う。

他にも色々、色々・・・父が今病院から出れないことや母がデイサービスに行かされていることなどは、私が強要したからだといわんばかりの不満を聞いた。「毎朝起きるのが辛く、何の希望もなくこのままでは本当におかしくなっちゃうよ」だって

私もこのままでは押しつぶされる。私の苦悩はほとんどわかってないし、この先も理解できないだろうと思ったら いなくなりたくなった。

このとても重たいからだと気持ち、どうしようもない。浸るしかない。

父と面会前までは、母の日だから帰りにどこかでランチをと明るい気持ちで計画していたのが嘘みたい。

私は、母と手をつないで帰った。

2019/5/11土

朝、相談員さんより電話があった。今週末の外泊は延期で、来週の土曜日に面談をし、保護入院から任意入院に切り替えて外泊する予定ということと、訪問看護ステーションを見つけたのでそのうち面談があるという内容であった。